初代西川芳太郎が、穴吹町で小さな菓子の店を開いたのが大正三年四月五日。それから百年の歳月が過ぎました。
こんなにも長い間、この仕事を続けることが出来ましたのは、その歴史の中で、素晴らしい人との出会い、良きご縁、そしてたくさんの皆様のご支援のお陰でございます。
これまで日乃出本店にお寄せいただいたご厚情に厚くお礼申しあげますと共に、これからもこの道に精進してまいりますので、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
合掌
1914年 | (大正3年) | 4月5日、餅屋「日乃出」創業。 初代西川芳太郎23歳 |
1950年 | (昭和25年) | 穴吹駅ホームでの立ち売り開始。 |
1951年 | (昭和26年) | 日乃出本店前での阿波踊り演舞場始まる。 |
1952年 | (昭和27年) | 有限会社日乃出本店設立。 |
1972年 | (昭和47年) | 新社屋 完成 |
2005年 | (平成17年) | 季節のぶどう饅頭販売開始 |
2006年 | (平成18年) | 徳島駅前「日乃出茶屋」開店 |
2008年 | (平成20年) | 毎年12月恒例「日乃出本店感謝祭」開始 |
2010年 | (平成22年) | 毎月恒例「朝茶会」開始 |
2018年 | (平成30年) | ぶどう饅頭リニューアル |
徳島県・穴吹は”武道信仰”で名を馳せる霊峰・剣山の玄関口。
毎夏、多くの人が参拝に訪れていました。
初代・西川芳太郎は何かお客様にいいお土産物はないかと思案し、そして生み出したのがぶどう饅頭です。
商売へ熱い志を持っていた初代・西川芳太郎は、あるとき森永製菓初代社長・森永太一郎氏と運命的な出会いを果たします。
森永氏との交流をきっかけに、その当時大ヒット商品であった「森永キャラメル」から想を得て”餡にミルクを練り込む”ことを思いつき、そのハイカラな味は、当時の人に熱狂的に支持されました。
「四国放送」が開局するとすぐにスポンサーに名乗りを上げ、放送された「躍進、躍進、また躍進。海越えて ほめられに行け ぶどう饅頭」というフレーズのテレビCMはもはや伝説です。
セスナ機からチラシを撒き、「ぶ」「ど」「う」「ま」「ん」「ぢ」「う」の文字すべてを集めるとぶどう饅頭1箱プレゼント、という型破りな宣伝をし、強烈な印象を県民に残しました。
ぶどう饅頭を買うと入っている「日乃出幸運券」の最初は、本物のお金に似せた「壱萬円札のお守り札」でした。
当時発行されたばかりの本物と間違われ、警察に事情聴取を受けたことも。
それでも初代は「これは刺身のツマのようなもの。お客様に、お菓子の美味しさだけでなく、喜びと笑いを届けたい」という考えを持っていました。
100年の時を超え、その夢は今も皆様のもとへと届けられています。